平安時代の食事内容!平安時代の貴族・武士階級の食生活とは?

平安時代はどんな食事をしていたのでしょうか?平安時代といえば華やかな貴族のイメージを浮かべる方も多いかと思いますが、食事内容も豪華だったのでしょうか?まだ外国からあまり食文化が伝わっていない平安時代では、お米はご馳走として扱われており、雑穀をメインに食べられていました。では平安時代の貴族や武士、庶民がどんな食生活を送っていてどんな違いがあったのか、主食や主菜、調理法、食事の回数などについて詳しく紹介していきます。

平安時代の食事内容!平安時代の貴族・武士階級の食生活とは?のイメージ

目次

  1. 1平安時代の食事について知りたい!
  2. 2平安時代の食事「主食」
  3. 3平安時代の食事「主菜」
  4. 4平安時代の食事の調理法は?
  5. 5平安時代の食事内容
  6. 6平安時代の食事・食生活はシンプル

平安時代の食事について知りたい!

現代ではさまざまな料理があふれており、和食だけでなく洋食や中華、イタリアンなど世界中の料理をいつでも楽しむことができます。今では当たり前に食べてられている白米ですが、平安時代ではあまり出回っていない高級品であり、庶民にとってめったに口にすることのできないご馳走でした。

また、貴族や武士、庶民など階級によって食生活も変わってきます。平安時代では、それぞれ一体どんな食事をしていたのでしょうか?平安時代の食生活と階級ごとの違いについて詳しく見ていきましょう。

平安時代の食事「主食」

平安時代の食事では、どんな主食を食べていたのでしょうか?貴族や武士、庶民の主食や食事回数の違いなどについて紹介します。

米は貴族の主食・庶民にはご馳走

今でこそ主食にはお米やパン、麺などいろいろな主食を選ぶことができますが、平安時代の人々にとってお米は重要な主食であり、ご馳走として扱われていました。

平安時代はまだ農業の技術があまり発達しておらず、お米が出回っている量はあまり多くなかったようです。そのため主食であるお米は、値段が高く高級品とされ、食事の際にお米があればそれだけでご馳走でした。

平安中期に編さんされた辞書である「和名類聚抄」という文献によると、当時の貴族の食生活では、ご馳走であるお米を食べることがステータスでした。また遣唐使によって唐の食文化が伝えられており、日本でも麦の栽培が本格化し始めるようになって、食事に取り入れるようになりました。

冷蔵庫など食品を保存しておく方法がない平安時代では、保存が効くように炊いたお米を乾燥させ、強飯(こわめし・こわいい)として食べられていました。強飯は高く盛り付けするのが行儀で、それに対して姫飯(ひめいい)というやわらかいご飯もありました。強飯はそのままでは固いため、水やお湯をかけて食べたりもされていました。

強飯は持ち運びにも便利で、兵食や携帯食にもされており、袖や袋に入れて持ち歩いて、途中でお腹が空いたら口に入れ、唾液でふくらませてお腹を少し満たすという食事方法がされていました。また貴族の使用人たちの間では丸めた強飯を食べることもあり、兵食にも用いられておにぎりのルーツになったといわれています。

庶民の主食は雑穀

一方、平安時代の武士や庶民の食生活における主食は、貴族とは違いご馳走である白米が食べられることはめったになく、麦類やアワ、キビなどの雑穀が主食でした。できるだけお腹を満たすことができるよう、雑穀に水を入れて煮込んでお粥にすることで、雑穀粥の量を増やす工夫が取られていたようです。

またお米は精米して食べるのが一般的だったため、玄米は食べられていませんでした。ぬかが残る分づき米は黒米と呼ばれて、アワやキビなどの雑穀と混ぜて食べられていたようです。

豆類やいも類は主食である雑穀を補完するものとして食べられることが多く、豆類は大豆や黒豆、小豆などがあり、いも類は山芋やクワイ、山芋などを米や雑穀と一緒にお粥にして食べることがあったようです。

貴族や武士・庶民の食事回数の違い

現代では1日3回食事を取ることが普通ですが、平安時代の貴族の食事の回数は1日2食が基本でした。午前10時頃から正午くらいに食事を取り、午後4時頃に夕食として食事を取っていたようです。

起床後に軽食を食べたり、夜に宴などがある場合もありましたが、きちんと食事を取る回数は1日2回でした。体を動かして働くことのない貴族にとっては、1日2回の回数の食事で満たされていたのかもしれません。

武士や庶民も、基本的に食事の回数は1日2回の生活をしていましたが、肉体労働で働いている人々は朝と夕の間に食事を取ることもあり、食事の回数が1日3回になることもあったようです。鎌倉時代になると、宮廷でも1日3食の食生活が取りいれられるようになりましたが、庶民の食事の回数は1日2回のままでした。

庶民の食事の回数が1日3回になったのは、江戸時代後期以降といわれています。明暦の大火で町を復興するために職人たちが1日中働くことが多くなり、朝夕2食では持たず昼食も取るようになったそうです。

また、その後ろうそくなど明かりが普及して夜に早寝する必要がなくなると、庶民の活動時間が長くなって食事の回数が1日3回必要になった、との説もあります。

平安時代の食事「主菜」

現代では肉や魚などを中心にバラエティに富んだメニューの主菜が数多く存在します。平安時代の食生活では、どんな主菜を食べていたのでしょうか?平安時代の主菜について、貴族や武士、庶民と階級での違いに触れながら解説します。

よく食べられていたのは魚

平安時代の食事では、を主菜として食べることが一般的でした。特にイワシやアユなどの淡水魚や沿海魚が主菜の主流で、川と海に囲まれた日本の地形から魚介類に恵まれており、魚をメインとして食べることが多かったようです。またすっぽんや貝類、海草なども広く食べられていました。

平安時代の貴族たちの生活している京都は海から遠く、主菜である魚介類は遠方から運ばれてきました。その際、干物にしたり発酵させたりと保存が保存が効くように加工されており、新鮮な魚を食べる機会は少なかったようです。

干物や乾物が多いと、消化があまり良くなく偏った食事になってしまいがちです。ビタミンをあまり取る機会がなく、そのため脚気で死亡する貴族も少なくなかったようです。

肉も食べられていた

平安時代の食事の主菜は魚がメインでしたが、肉を食べていなかったわけではありません。ヤマドリやハト、キジ、スズメなどの鶏類から、クマやイノシシ、シカ、タヌキ、キツネ、アザラシなどの獣類までと幅広く食事に摂りいれられていたようです。

平安時代は仏教が盛んで、仏教徒の間で一切肉を食さない者もいましたが、それはごく一部でした。平安時代の貴族は多くはないものの肉も食生活に取り入れており、遠方から貢ぎ物などとして肉類を運んでくる際には、干し肉として各地から運ばれてきたようです。

しかし平安時代は狩猟よりも農業や漁業が中心であったため、肉よりも魚介類のほうが主流でした。好んで肉を食べるというよりは、ご馳走としてたしなむ形であったようです。

また肉類よりも、乳製品を主菜として食事に摂りいれていたようです。平安時代には貴族の私有地である荘園が始まると、そこに馬や牛を放牧する牧場のようなものが作られました。

それにより乳の利用が盛んになり、牛乳だけでなく「」とよばれる牛乳を濃縮して粥にしたものや、「」とよばれていた酪をさらに濃縮してチーズにようにしたものも食事に摂りいれられていたといわれています。卵に関しては蚕を食したものの、鶏卵は食べられていなかったようです。
 

平安時代の食事の調理法は?

現代では多種多様な調理法が利用されてさまざまな食事を楽しめますが、平安時代ではどんな調理法で作られていたのでしょうか?平安時代の食事の調理法について紹介します。

調理法

平安時代の食事の調理法はとてもシンプルで、すでに「庖丁」と呼ばれる料理人はいたものの、調理法としては蒸す・煮る・焼く」というような簡単な方法を取っていたようです。なまものから蒸し物、茹で物、煮物、こごり、焼き物、吸い物、和え物、干物などの調理法にわけることができます。

今では当たり前に使われている「炒める・揚げる」などの調理法は使われていませんでした。蒸す調理法では強飯、煮る調理法では姫飯や汁粥、焼く調理法では焼米などに使用されていました。

平安時代では、魚や肉も、生食もしくは簡単に焼くだけの調理法しか取られていません。さらに庶民になると、食事の際に調理するという感覚もなかったようです。野菜や山菜、果物以外で新鮮なものを食べられることは少なかったため、保存が効く干物や漬物として食事を取っていたようです。

味付け

平安時代の食事は、食材を切ったり加熱したりはするものの、味付けをするという習慣がありませんでした。しょうゆや砂糖、ダシなどの現代で使われるような調味料は存在しなかったため、食べる前に塩やしょうゆの原型である醤(ひしほ)、味醤(ミソ)、酢、酒、わさびなどを浸けて食べました。

食事の基本的な味付けは塩と酢のみで、塩辛いおかずか酸っぱいおかずを食べながらご飯と食べるのが当時の貴族の食生活であるようです。和名類聚抄に寄ると、醤と味醤は現代のしょうゆや味噌のルーツであり、大豆に小麦の麹を加えて発酵し、塩で味付けしたものとなります。

また平安時代には砂糖は存在していたものの、薬品として扱われ、調理に使用され始めたのは鎌倉時代の終わり頃になります。今では調味料としても使用される酒も当時は透明ではなく、とても糖度の高いにごり酒だけでした。

平安時代の食事内容

平安時代の食生活について、主食や主菜、調理法を見てきました。では実際、どんな献立で作られた食事内容だったのでしょうか?平安時代の食事内容について詳しく解説します。

貴族の食事内容

平安時代の貴族の食事は、ご馳走である強飯や姫飯などの白米を主食としていました。ご飯は塗り椀に、円柱状または四角くてんこ盛りされて、箸を立てて刺すのが平安時代の作法とされていたようです。

ご飯に箸を指すのは仏教の影膳の影響で、平安時代は仏教思想が普及していたため、食事に対して美味しいやまずいなどと話題にすることははしたないとされました。そのため現代と違い、栄養や味はさほど気にされず、盛り付けた時の見た目の美しさを重要視していたようです。

貴族たちは、配下にある豪族などから貢ぎ物、税金としてあらゆるものが集まってくるため、豊富な食材を手にしていました。宴会の際には「大饗料理」という飯を中心に多くの副菜も高く盛り上げて接待するのが風習でした。

お膳は脚のない折敷を用いて、ご飯は右側、汁物は左側に配膳されます。この配膳は現代でも受け継がれており、日本料理の基礎となりました。小さな皿には調味料が入れられ、副菜が高く盛られます。高盛り飯は茶碗3杯分の量があり、食べ残してもよいしきたりでした。

周囲に並べられたおかずは「おまわり」と呼ばれます。一汁三菜のメニューですが、特に宴の時などは数が多いほどご馳走とされ、「かずもの」とも呼ばれ、ここから「おかず」という言葉が生まれたともいわれています。調味料はつけるのではなく、さじでかけて味付けをします。

庶民の食事内容

武士や庶民の食事内容は、ご馳走である白米を食べる機会はほとんどなく、麦やアワ、キビなどの雑穀を主食としてお粥として食べることが一般的で、雑穀粥に副菜がついた一汁一菜のメニューだったといわれています。

貴族とは違いとても質素で、お腹が持たない場合は間食を取ることもありましたが、それでも十分な量とはいえず栄養不足だったようです。

平安時代末期に近づくと、一汁二菜や一汁三菜の食生活も普及してきますが、それでも米粥と汁物、干物や野菜の和え物、漬物などが並ぶ食事で、質素なことには変わりなかったようです。味付けはされておらず、塩を添えてかけて食べるので、現代のように美味しいメニューとは言い難いかもしれません。

また、遣唐使によって伝来した麺類が食事に取り入れ始めたのはこの頃で、麦を使ってうどんのようなものが食べられていました。平安時代に副食として食べられていた野菜は、ウリやネギ、にんにく、せり、フキ、ナス、ごぼう、うど、など多彩な種類を食事に食べていたようです。

平安時代の食事は栄養バランスが悪い

平安時代、京都は海から遠いため、魚介類はほぼ干物として食すこととが多かったようです。また貴族は肉を食べる回数が少ないため、圧倒的にタンパク質が不足しており、栄養失調になることも珍しくありませんでした。平安時代の平均寿命は男性33歳、女性27歳くらいだったといわれています。三大死因は、結核、脚気、皮膚病だったようです。

女性の平均寿命が短い理由として、栄養失調になりやすかったという理由があげられており、平安時代の絵巻物ではふくよかな女性が描かれていることが多いですが、栄養失調によるむくみが原因だったのではないかといわれています。当時は衣類を何枚も重ねて着ていたことから、ふくよかというよりは痩せていたのではないかといわれています。

また平安時代の食事は干物が多く、味付けも自分でするため濃い味付けになりがちで、塩分の摂取量が多かったようです。当時一般的なお酒として普及していたにごり酒も、糖度が35%もあるお酒でした。塩分や糖分を摂りすぎてしまい、糖尿病の症状が出る貴族も少なくなかったようです。

一方庶民は、貴族とは違い、山野でいろいろな鳥や獣を獲られて肉を食べていました。また、貴族が脚気になり死亡することもありましたが、脚気はビタミンB1が不足してかかる病気でした。実は庶民が食べていた雑穀にはビタミンB1が含まれているため、貴族より健康的な生活を送っていたようです。

しかし、もともと質素な食事内容のためお腹いっぱいに食べられることは少なく、栄養不足になって死んでしまう子供たちもたくさんいました。衰弱して亡くなってしまう方もいましたが、庶民はよく体を動かして1日3回の食事を取る食生活を行うようになっていきます。

平安時代の食事・食生活はシンプル

平安時代の食事は、貴重な白米が何よりの御馳走でした。貴族は御馳走である白米を主食して一汁三菜の食事をしていた一方、武士や庶民は貴族と違い、ご馳走である白米は食べられず、雑穀を主食として一汁二菜の質素な食事でした。平安時代は魚が食事の主菜であり、ごく簡単な調理方法で貴族、武士、庶民ともに簡単な味付けで食事をしていました。

以上のように、平安時代の食事はとてもシンプルで、貴族・武士・庶民と階級によって主食や主菜、食事回数までいろいろな違いがありました。現在でも平安時代の貴族の食事を再現したレシピやお店があります。今回の豊かな現代のの食生活との違いを参考にしながら、平安時代の食事を楽しんでみましょう!

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