2019年07月16日公開
2024年09月22日更新
今川焼きと大判焼きの呼び方の地域差を調査!回転焼きという別名も?
今川焼きに大判焼きと、貴方はどちらの呼び方でこの商品を呼んでいますか?同じお菓子にも関わらず地域に呼び方の異なる今川焼き若しくは大判焼きですが、中には回転焼きというのは別名で呼ばれる事もあるそうです。とにかくカオスなこのお菓子ですが、今回はそんな今川焼き・大判焼き・回転焼きの呼び方に纏わる地域差や由来について調査してみました。果たしてこれら同一のお菓子がそれぞれ異なる呼び方で呼ばれる理由とは一体⁉
今川焼きは地域によって呼び名が違う
あんこやクリーム等の定番を始め、数多くの種類が存在する事で知られるこの食べ物の名称を貴方は一体何と呼んでいるでしょうか?今川焼きと呼ぶ方も居れば大判焼きと呼ぶ方も居るでしょうし、中にはそのどちらの呼び方とも違う名称で呼ばれる方もいらっしゃるでしょう。
不思議な事にこの今川焼き・大判焼き・回転焼きと呼ばれる食べ物は、同じモノにも関わらず地域ごとにその呼び方が異なります。勿論そうした食べ物は他にも有りますが、これ程多くの別名がある食べ物も珍しいでしょう。
今回はそんな今川焼きの名前の由来や、各地域ごとの呼び方や別名についてまとめてみました。その背景には一体どの様な理由があるのでしょうか?
今川焼きと大判焼き
では早速この今川焼きと大判焼きの名前の由来や呼ばれる地域について説明して行きたいと思います。これらにはそれぞれ同じお菓子を指しているにも関わらず、全く異なる呼び方が付けられています。ではその呼び方は一体どの様な由来によって付けられたモノなのでしょうか?
今川焼きの由来
名称の由来には諸説あるのですが、最も有力な節と言われているのが発祥した地域の名称が付けられたという節です。今川焼きが生まれたのは江戸時代中期の頃と言われておりますが、当時江戸今川橋付近に在ったとされるお菓子屋がこの今川焼きを開発したそうで、そこからこの名称が使われる様に成ったのでは無いかと言われています。
過去の資料を紐解いていくと、安永6年に出版された富貴地座位という資料の中にそれらの記述が見つかっています。また江戸時代には地域の名称やそのお店の名前がそのまま商品名として定着したモノも数多く生まれていますので、今川焼きも恐らく同様では?と考えられているようです。
また、今川焼きはあの戦国武将である今川義元から付けた名称との説もありますが、こちらに関してはそれを裏付けるモノも無いので正直微妙なところです。もしその話が本当なら、今川家縁の地である旧駿河や遠江地方の方はこちらを今川焼きと呼んでいるのでは無いでしょうか?
因みに豆知識ですが、皆さんも大好きであろうたい焼きはこの今川焼きから発展した物ですので、もし今川焼きが生まれなかったら当然たい焼きも存在しなかったという事になります。
今川焼きと呼ぶ地域
このお菓子を今川焼きと呼ぶ地域の大半は関東圏です。つまり江戸城に近いエリアという事であり、これを見る限りではやはり先程の今川橋節は正解であると言えます。江戸で発祥して話題となり、以降関東圏一円にその名称が広まって行く事と成ったのでは無いでしょうか?
因みに北関東の東北寄りの地域に行くと、その呼び方も東北エリアで呼ばれている名称に変わるというのが実に面白いところです。江戸時代の日本は藩の時代であり、現在の様に人の往来も容易な時代ではありませんでした。故に地域毎の文化や風習がブロックごとに今も尚根付いているのかも知れません。
大判焼きの由来
続いて大判焼きですが、その名が示す通りこちらは大判小判の大判からその名が付けられたと言われております。元々大判を模して作られていた為、当時は現在の様なまん丸とした形状ではなく楕円形だったそうです。また今川焼きと比較してこちらの方がサイズが大きかった為に、大判焼きと呼ばれるように成ったという節もあるそうです。
何れにせよ話の経緯を踏まえると、この大判焼きは今川焼きから派生して生まれた商品であるという事が分かります。元祖である今川焼きが江戸から広まり、その過程でオリジナルバージョンに変化して行ったのでないか?と考えられます。
大判焼きと呼ぶ地域
大判焼きという呼び方をする地域は主に東海地方や中国四国地方に多く、そこから全国に広まって行ったと言われています。ただ、こちらに関しては実際にどの様な経緯を経て広まっていったのかは定かではありません。
恐らくは江戸で流行していたお菓子を真似て作り出されたモノが、東海道を経て各地域へと拡がり、進化を遂げて全国に伝来して行ったのでは無いでしょうか?
回転焼きと太鼓まんじゅう
また、このお菓子の事を回転焼きや太鼓まんじゅう等と呼ぶ地域も有るようです。これにも当然由来と成った理由や経緯があると思いますが、果たしてそれらの経緯や理由とはどの様なものなのでしょうか?ここではそれら2つの名前の由来や呼ばれている地域について説明させて頂きます。
回転焼きの由来
回転焼きという別名が付いた由来はこのお菓子を作る際の製造工程にあります。通常四角い型の中で作られるこのお菓子ですが、ある地域ではコレを回転式の型を用いて作られており、それがこの回転焼きという名前の由来と成っています。
何故この回転式の型が使われる事に成ったのかは定かではありませんが、江戸で生まれた今川焼きを別の形で進化させたバージョンと考えるのが分かりやすいかも知れません。この回転焼きという名称は他の呼び方よりも直接的で分かりやすい名称と言えるでしょう。
回転焼きと呼ぶ地域
この回転焼きという別名は、主に大阪を中心にした近畿エリアと九州の一部で使用されています。大阪にはこの回転焼きで有名なお店も多く、多くの人々に長年に渡って親しまれています。回転焼きという名称も商人の町である大阪らしく、実に分かりやすくて覚えの良いネーミングであると言えるでしょう。
太鼓まんじゅうの由来
一方太鼓まんじゅうの由来には大きく2つの説があると言われています。一つはその名の通りその見た目が太鼓の様な形をしているという事で太鼓まんじゅうと名付けられた説で、もう一方は太閤まんじゅうがやがて太鼓まんじゅうと呼ばれる様に成ったという説です。
見た目も確かに太鼓の様な形をしていますので、最初の説はかなり有力な印象を受けます。ただもう一方の説はあくまでも地域に伝わる噂的な可能性も高く、特にコレといった裏付けもないので、正直間違いないだろうとするには疑問が残るところです。
太鼓まんじゅうと呼ぶ地域
太鼓まんじゅうと呼ぶ地域は、これまた回転焼き同様に大阪を中心とした関西圏エリアです。これが太閤焼き説が上がる最大の理由でしょう。大阪といえば太閤豊臣秀吉です。その太閤の名を冠したお菓子であったとの説は、確かにアリそうな気がしないでもありません。
実はこの太閤饅頭という名称で販売されている有名なお菓子があるのですが、そのお菓子とこの説には特に関係性は無いとの事です。見た目は少し似ていなくもありませんが、中身は全く別のモノと言って良いでしょう。
今川焼きは他にも色々な呼び方がある
実はここで紹介した以外にも今川焼きには様々な別名がありますので、最後にそちらを紹介したいと思います。広島県ではこのお菓子のことを二重焼きと呼ぶそうです。何故二重焼きと呼ばれているかと言うと、別々の皮を合わせるというその製法からと言われています。
続いて福島県会津若松地方での呼び方ですが、こちらでは今川焼きの事をきんつばと呼ぶそうです。実はこのきんつばも呼び方が厄介なお菓子として有名で、地方によってきんつばと呼ばれるお菓子が全くバラバラなのです。
例えば自分とは全く違う地方の出身者の方ときんつばについて話をしていたとします。でも実際にはお互いに全く別のお菓子について話している可能性があるのです。
そして最後に北海道です。北海道では今川焼きの事をおやきと呼んでいます。おやきと言えば長野県で有名なあのおやきを思い出す方が多いと思いますが、北海道でおやきと言えばまず100%がこの今川焼きを連想するのです。
今川焼きは地域ごとに色々な呼び名があって面白い!
今回は今川焼きや大判焼きの名前の由来や地域ごとの違い、そしてその他の別名等について紹介してきました。今回の記事で同じ今川焼きという食べ物にも関わらず、地方によってこれだけ沢山の呼び方が有るという事がお分かり頂けたかと思います。話のネタとしても実に面白く興味深い話題でした。
ただこれだけ沢山の呼び方が有ると、さすがに全ての呼び方を把握するのは難しいと思います。故に今後今川焼きの話をする際は、まず先にその型の出身地を確認しておきましょう。それならお互いに話の途中で?を浮かべなくても済むはずです。