2018年07月14日公開
2024年07月22日更新
金平糖の作り方と名前の由来・語源とは?角ができる理由も調査!
日本の和菓子を代表する小さなお菓子の一つに、金平糖があります。金平糖は砂糖を固めて作られているのですが、それ以外の事はあまり知られていないでしょう。直径も1センチ以下と大変小さいものが多いのですが、カラフルに彩られた色彩は人々の心を和ませてくれます。今回は、こんぺいとうの作り方から由来まで、金平糖に関する様々な情報をお届けします。作り方が分かれば、金平糖の楽しみ方の幅も増えることでしょう。
目次
金平糖という小さな花
南蛮より伝わった由緒ある砂糖菓子
小さいながらも様々な彩りで飾られた、口に入れるとほのかで上品な甘さが広がる和菓子、金平糖。他にも金米糖、金餅糖、糖花と表現される事があります。戦国時代にポルトガルから伝わった手作り菓子だそうで、当時はその美しい見た目から、非常に注目された駄菓子だったそうです。
カステラや有平糖と共に日本へ伝わった南蛮菓子の一つで、日本で最初に伝わった場所は西日本の京都だったようです。ポルトガルの宣教師が当時の二条城の主、織田信長に謁見した際に持参したのが最初と言われています。
不思議な形と様々な色をした、手作りの甘いお菓子は大変珍しく、織田信長もたいそう驚いたそうです。公家や高級武士しか手に入れられない貴重な品として扱われ、日本中に広まっていったのはもっと後の事でした。
駄菓子の歴史
黒糖を使った作り方をされていた駄菓子の定義
現代で言われている駄菓子とは、子供向けに製造されている安価なお菓子の事を指します。甘いものもしょっぱいものも、手作りされているような手間暇かかっているものも、総じて駄菓子という呼ばれ方をしていますが、一昔前には違っていました。
そもそも、「菓子」という言葉が使われ始めたのは、江戸時代よりももっと前からです。元々は、中国で使われており、果物の事を「菓子」と呼んでいた事に由来しているそうです。菓子という言葉に草かんむりが使われているのには、植物を強調していたという説があります。
その内、菓子の食べ方や種類にちなんで、抹茶のお供として出されるようになったものを「茶菓子」、果物の事を「水菓子」、そして食事時以外で食べる嗜好品を総じて「お菓子」と呼ぶようになっていきました。
江戸時代にはまた少し形が変わり、菓子に使われる上白糖が高価なものだったため、大名や武士が食べる上白糖を使ったものを「上菓子」と呼び、明治時代に入り、主に黒糖を使った庶民向けの菓子を「駄菓子」と呼ぶようになっていきました。
駄菓子の歴史は江戸時代から
明治時代から使われている「駄菓子」という言葉は、今では大衆向けに作られた安値のお菓子を主に指すようです。それは和菓子や洋菓子に関係なく、子供でも買える安いお菓子は全て駄菓子と呼ぶようになりました。江戸時代の庶民が食べていた嗜好品を駄菓子と呼んでいたという由来を踏まえると、現在の駄菓子の定義と大差は内容に見受けられます。
駄菓子は上菓子の対称的存在だが金平糖は?
金平糖はそもそも、織田信長に献上されたほど高価なものだったはずですが、「駄菓子」として現代に定着しているのはなぜでしょう?その理由は、砂糖の価値の変化に由来しています。
江戸時代には大変貴重だった白砂糖は、幕末には多く生産されるようになっていきました。庶民の手で、手作りの砂糖の生産を始めたという事です。明治時代に入った頃には、台湾からの砂糖の輸入が増え、砂糖の価値がだんだんと安価になっていったのです。
砂糖の価値が下がると共に、貴重品とされていた上菓子の価値も下がっていきました。庶民には手が届かなかったポルトガル由来の金平糖も、庶民の間で作り方が広まり、駄菓子としての食べ方が広まっていきました。金平糖が駄菓子と呼ばれるようになったのは、砂糖の価値が下がったからです。
江戸時代でも現代でも、駄菓子は大衆の間で大変な人気で、今では数えきれない程種類が豊富にあります。その数だけ手作りの仕方も食べ方も異なり、金平糖の価値自体も歴史の中で大きく変わりましたが、人々に愛される菓子であることに変わりは無いようです。
駄菓子の最適な食べ方
駄菓子にも、一番美味しい食べ方というものがあります。駄菓子は、よく噛みしめ、口の中で長い時間をかけてゆっくりと溶かしていくと、深い味がいっそう際立っていきます。
駄菓子は、職人達の手によって力を込めて捏ねたり練ったりされています。そのため、味が凝縮されており、ゆっくりと丁寧に味わう事で、本来の旨みがじわじわと引き出されていくのです。駄菓子にも一番美味しい食べ方があるのなら、日本だけでなく世界中で様々なものに一番美味しい食べ方があるのでしょう。
金平糖の歴史
ポルトガル由来の南蛮生まれの手作り駄菓子
金平糖は江戸時代よりも前に、ポルトガルから来日した宣教師達によって日本へとやって来ました。1543年の安土桃山時代に、「南蛮文化」と呼ばれるポルトガルから伝わった文化が広まっていきます。
1569年に正月の挨拶のために城へと上がった宣教師達の中にいたルイス=フロイスという格の高い神父が、城主の織田信長へ献上物として「南蛮菓子」を持参したのが最初と言われています。
その際に持ち込まれた南蛮菓子は、「コンフェイト」、「カステラ」、「ボーロ」などという名前が由来で、コンフェイトという砂糖菓子の名前が転じて「コンペイトー」と呼ばれるようになり、「金平糖」という漢字も使われるようになったそうです。
金平糖という漢字の由来
金平糖という漢字に意味は無い
ポルトガル由来の手作りの品「コンペイトー」。「コンフェイト」という言葉が訛り混じりの言葉で「コンペイトー」と呼ばれるようになったそうですが、金平糖に当てられている漢字に意味はあるのでしょうか?
金平糖に当てられている漢字に特に由来や意味は無いそうで、ただの当て字という説が最も有力なようです。しかし一説には、「金平」という言葉には「強い」という意味があり、砂糖の甘みの「強さ」に由来しているのではないかという説もあるようです。
他にも「金餅糖」や「糖花」という別名も併せ持っています。金平糖の特徴とも言える突起があり、様々な色付けを施されているところを見ると、一見小さな花のように見える事から、もっと華やかな別名も存在するのではないでしょうか?
金平糖の出来は職人の腕や作り方よって左右する
金平糖の作り方は相当困難
掌に何粒も乗るほど小さな粒の金平糖ですが、その作り方はなかなかダイナミックです。金平糖を作るには、銅鑼と呼ばれる大きな釜が必要になります。この銅鑼は傾斜が付けられ、常に回転しています。
また、熱く溶かした飴を掛けるための道具も必要です。一般的な工場では、液体の飴を掛けるための機械を使いますが、何年もの歴史を持つ老舗では柄杓で熱い飴を掛けます。糖蜜が大変高温で熱いため、金平糖を作る室内は常にサウナ状態と言って良いでしょう。
その他にも、熱い糖蜜を振り掛けた後に、金平糖を混ぜるための長い棒が必要になってきます。短いものでも出来ますが、表面温度が高いため、熱さを我慢出来ない可能性が高いです。かき混ぜないとそのまま固まってしまうので、迅速に行動する必要があります。一気に全体を掻き混ぜ、糖蜜を全ての金平糖の核に行き渡らせないといけないのです。
金平糖の作り方をマスターするのは過酷
この一連の作業をスムーズに、そして的確にこなせるようになるまでには、少なくとも10年の年月が必要と言われています。それほど、金平糖の作り方をマスターするには、長い年月をかける必要があるのです。
作り方はポルトガルから伝わってこなかった
手間暇かかる手作りの砂糖菓子である金平糖ですが、ポルトガル由来のものであるという歴史的事実は残っているものの、作り方は伝わってこなかったようです。実際に献上品として持参されただけで、文化的に作り方や食べ方が伝わった訳ではなかったようです。
だからこそ、語り継ぐべき担い手が足りないのも事実です。一子相伝でしか伝わっていないため、また、あまりにも過酷な作り方をしている手作り駄菓子として知られているので、次期後継者がなかなか見つかっていないようです。
食べ方一つとっても、個性豊かな食べ方があるので、決してつまらないものではないのですが、最近の若い人には、やはり辛い職業の一つとして映ってしまうのでしょう。手作りの日本伝統のお菓子に、興味を持ってもらうことが先決となるでしょう。
金平糖に必要なものは砂糖だけ!
金平糖の材料はいたってシンプル
金平糖を作るのに必要な材料は、たったの2種類です。まずはケシ粒と呼ばれる金平糖の核となる部分に用いるザラメ糖。ザラメ糖の他に、イラ粉と呼ばれる蒸したもち米を細かく砕いた小さな粒を用いる事もあります。
2つ目は、ケシ粒に繰り返し掛けるために必要な糖蜜です。糖蜜は、水に砂糖を溶かして作る液体状の砂糖です。ここで溶かす砂糖には、主にグラニュー糖が使われます。糖蜜が焦げ付かないように、常に鍋の中身を掻き回しておく必要があります。
たった2種類の材料で作るのなら、家にある銅鍋でも作れるのではないかと思うかもしれませんが、実は金平糖作りには熟練された経験が必要になってきます。長年の経験によって培われた職人の「勘」が、金平糖作りには必要不可欠で、一般家庭で、市販されている綺麗な金平糖を作る事は不可能と言って良いでしょう。
どうしても金平糖を家で手作りしたい!というのなら、市販のものほど綺麗には出来ませんが、金平糖の作り方を紹介しましょう。根気と時間が必要になってきますので、それを留意した上で、家で出来る金平糖の作り方に挑戦してみて下さい。
手作り金平糖の作り方
一般家庭でも出来る!?手作り金平糖の根気のいる作り方
上記で紹介したように、金平糖作りには本来なら直径1メートル以上ある銅鑼が必要です。しかし、そんな大掛かりな道具を一般家庭に置いている訳がないので、フライパンでの作り方を紹介します。かき混ぜるための道具として、竹串を5〜10本程度用意しておきましょう。
まずは、金平糖に振り掛けるために必要な糖蜜を作ります。材料は水とグラニュー糖を、1対1の割合で用意します。初めての方は、水200ミリリットルとグラニュー糖200グラムで挑戦してみて下さい。
鍋で水を沸騰させて、グラニュー糖を加えて全て溶け切るまでかき混ぜます。または、耐熱容器に水とグラニュー糖を入れ、電子レンジで20〜30秒加熱します。どちらの方法でも、焦げ付かないように注意しましょう。
次に、金平糖の核となる部分、ザラメ糖もしくはイラ粉を用意します。初めて作るなら、大体大さじ1杯程度をまずは作ってみましょう。フライパンにザラメ糖もしくはイラ粉を入れ、ごくごく弱火で加熱していきます。フライパンが温まったら、粒を隅に集めて、糖蜜を小さじ1〜2杯振り掛けます。
熱が通り、振り掛けた糖蜜の表面がふつふつしてきたら、火を止めて数本の竹串をまとめたものでかき混ぜます。この時に、水分がなくなって乾燥した白っぽい粉状になっていれば、成功です。まだ糖蜜がベタついているようなら、加熱を続けます。
フライパンが冷めたら、再び火にかけて、粒を隅に集めて糖蜜を振り掛けて、表面がふつふつしてきたら竹串で一気にかき混ぜます。この行程を、数十回続けます。数十回続けて、納得のいく大きさになるまで金平糖を成長させましょう。1日で出来なかったなら、数日に分けてやる他方法はありませんので、続けるか諦めるかは貴方次第です。
金平糖と言えば、凹凸のついたあの形。あの独特の形は、製造方法上、自然とできるもののようです。金平糖を作るだけなら、上記の2つだけで出来ますが、多くの金平糖には様々な色が着いています。昔からある駄菓子ですが、日本で作られ始めた頃から色は着いていたのでしょうか?
金平糖の形の作り方
小さな花のような凹凸の作り方
まずは形について見てみましょう。手作りされた金平糖は、直径約1〜1.5センチのとても小さな駄菓子です。そんな小さな砂糖の塊に、どうやってあんな細かい凹凸が付けられるのか、不思議ではありませんか?確実に出来る作り方は存在するのでしょうか?
実は作り方も理由もはっきりしていない
実は、あの凹凸が出来る理由と作り方は、まだはっきりとは分かっていません。最近の研究で、新たに一説が投じられましたが、その一説も確固たる根拠があるものではないようです。それでも、有力な一説として紹介します。
金平糖の表面の凹凸は、製造過程で発生するものです。銅鑼の底の部分に接した糖蜜が加熱され、ケシ粒の側面に張り付いて冷え固まる事で、金平糖は徐々に大きくなっていきます。この時、部分的に凹凸が出来、凸部分に糖蜜が付きやすい状態になります。
最初は肉眼では分からない程の凹凸ですが、銅鑼の中身を全体的に掻き混ぜ続ける事で、凸部分が何度も糖蜜に触れる事となり、表面の凹凸は徐々にはっきりとしてきます。掻き混ぜる行程を繰り返す事によって、私達が普段見ている金平糖の形になっていきます。
残念ながら科学的な根拠は、まだ解明されていません。凹凸の作り方、メカニズムは徐々にはっきりとしてきているようですが、なぜそうなるのかという根拠が未だに見つかっていないのが現状のようです。大昔からあるものなのに、現在の技術を持ってしても、まだはっきりと解明出来ないものがあるとは、驚きです。
手作りの小さな星の角は一日で1ミリだけ成長する
まるで型にはめて作っているようにも見える、金平糖の凸部分。イラストの星の尖った部分にも似ているあの形は、一日中金平糖を銅鑼の中で転がし続けてようやく1ミリ成長することが分かっています。だからこそ、1ミリにも満たないまでに大きくするのに、熟練された職人の技を持ってしても1週間かかってしまうのです。
凸部分が出来るまでには、一粒の大きさが最低でも直径2〜3ミリは必要になってくるので、市販のものは最低でも2〜3日はかかります。先ほど紹介した家で出来る金平糖の作り方では、最低でも50回は同じ行程を繰り返す必要があるでしょう。手作りされる金平糖には、繊細な技術とかなりの時間を要するのです。
さて、金平糖の作り方を見てきた上で、糖蜜が重要な役割を担っているのが分かりました。この糖蜜ですが、金平糖に色や風味、様々なフレーバーを着けるために、色々と変える事が出来ます。昔からある色には、意味を持たせているものも少なくないようです。
金平糖の色には意味がある
日本に初めてやってきた当初から色が着いていた金平糖
ポルトガル由来の砂糖菓子コンフェイトは、江戸時代に初めて日本にやって来たと前述しました。この時、すでに色鮮やかに着色してあったようです。だからこそ、小さなガラス瓶に入れられていたそれが、織田信長をはじめとする日本人の視線を一点に集めたようです。
日本には四季があります。金平糖の色を四季の色に当てはめるようになったのも、自然な流れと言えるかもしれません。春の桜を連想させる春の桃色、青葉を連想させる夏の黄緑色、紅葉を連想させる黄色、そして雪を連想させる白色。他にも、花に例えて色が説明されているものもあります。
季節を重んじる和の心を多くの日本人が持っている事でしょう。旬の花や果物、食べ物など、四季に由来するものを数多く持つ事により、より季節を楽しみたい欲求は日本人だけでなく、今や世界中に広まりつつある気がしてなりません。日本人由来の食べ物の作り方や食べ方が徐々に世界へ発信されている、一理由として挙げられるでしょう。
作り方を少しアレンジして着けられる色の数々
家で金平糖を手作りする場合には、色の濃いジュースや紅茶使う事で、元の色に由来する色鮮やかな金平糖に仕上げる事が可能になります。その時は、ジュースや紅茶に更にグラニュー糖を足して、水から作る糖蜜と同じように1対1の割合にする事をお忘れなく。
金平糖の魅力は食べるだけではない!
金平糖の意外な活躍の場
見た目が可愛らしく、色鮮やかな金平糖は、食べ方にも意味がある場合があります。例えば、緊急事態に配られる乾パンなどの非常食と一緒に金平糖が配られているのを見た事はありますか?
実は金平糖は、昔から乾パンと並んで非常食として活用されていました。まだ戦時中だった頃に配られた携帯食料の中にも、金平糖の姿はありました。もちろん、これには理由があります。
人間が活動するために必要なエネルギーを補おうと思ったら、乾パンだけでも大丈夫なのですが、ここに金平糖を加える事で、更にエネルギーを蓄える事が出来ます。更に、乾パンと一緒に摂取する事で、口の中の唾液の分泌量を多くして、食べやすくする効果もあります。
加えて、色とりどりな見た目が、避難中のストレスを少しでも和らげてくれる効果もあったそうです。小さいサイズなので持ち運びが大変楽だった事と、長期間保存が出来る食料として、当時も今も優秀な非常食として扱われています。
縁起ある引き出物としての食べ方
結婚式の引き出物として、金平糖を見た事がある人は少なくないでしょう。金平糖は縁起物として大変人気で、このような役割を担うようになった理由は、皇室にあります。金平糖は、皇室と深い関係があります。
金平糖の作り方は成婚に思い描く過去未来とシンクロする
皇室では、結婚式に限らず、昔からお祝い事の席には、金平糖が必ず使われていました。作り方は、これまでにも何回か見て来たように、大変長い時間をかけて職人が熟練の技でゆっくりと丹精込めて作り上げていくものです。
この長い行程を経て完遂する金平糖の作り方が、成婚によって新たな門出に立った二人が、大きな愛を持って幸せな家庭を永い年月をかけて築いていく姿と酷似している事から、金平糖を配布する慣わしへと繋がっているのだそうです。
また、愛情を注いで手塩にかけて我が子を育ててきたご両親の親心を現しているとも言われており、金平糖は皇室と大変縁深い品物となりました。どんなに苦労しても決して表には見せない、芯の辛抱強さを美徳とする日本人にとって、金平糖の作り方は、日本人の在り方と、ある意味では似通っているのかもしれません。
金平糖の作り方のバリエーション
食べ方や楽しみ方も様々
素朴な砂糖の甘さが後を引かない、でもしっかりとそしてさっぱりとした甘さが魅力の金平糖。食べ方も人それぞれ違っているようです。奥歯で噛み砕いて食べる人もいれば、キャンディのように少しずつ口の中で溶かしながら味わう人もいます。
昔から親しまれている食べ方は、ぽりぽりと噛んで食べる食べ方のようです。奥歯で噛むことにより、金平糖一粒に凝縮されている甘みと風味が一気に口の中に広がり、風味は鼻から抜けていき、金平糖の良さを最大限に楽しめるようになっているようです。推奨される食べ方もあるとは、金平糖にはまだまだ奥深さがありそうです。
アレンジレシピの作り方で見る金平糖の美味しい活用法
可愛い見た目を利用したアレンジレシピも数多く紹介されています。クッキーやケーキのデコレーションとして使ったり、コーヒーや紅茶に入れる角砂糖代わりに入れてみたりと、様々な食べ方をしているようです。
今回はその中でも、検索してみた結果で数が多かったクッキーとヨーグルトのアレンジレシピを紹介します。甘くて美味しい上に、見た目にも楽しめるとは、金平糖の楽しみ方は正に無限大です。
クッキー生地に金平糖を混ぜる作り方
用意するものは、金平糖適量、薄力粉もしくは小麦粉、砂糖、バターもしくはマーガリン、そして卵です。ひとつまみの塩もお忘れなく。バターもしくはマーガリンは常温に戻しておき、卵は解きほぐしたものを室温にしておきます。
基本の作り方で、まずはクッキー生地を作りましょう。常温に戻したバターもしくはマーガリンをボウルに入れ、クリーム状になるまで泡立て器で練ります。砂糖を2回に分けて入れ、滑らかになるまで混ぜましょう。この時にひとつまみの塩も加えてかき混ぜます。
それから、溶き卵を3回に分けて入れていきます。全ての材料をしっかりと混ぜ合わせておく事が大切です。泡立て器をゴムベラに持ち替え、混ぜ合わせたものに薄力粉または小麦粉を加えて切るように混ぜていきます。
ここで今回の主役、金平糖を加えます。最後にトッピングとして使いたいなら、金平糖を加えずに最後まで取っておきます。生地がボロボロとそぼろのようになったら、ゴムベラを寝かせるようにして生地をボウルに押し付けるように練っていきましょう。
耳たぶの硬さになるまで練った生地を作業台に出し、ある程度手で平らにしたら、ラップに包み冷蔵庫で30分以上休ませます。その後、休ませた生地を包丁で半分にし、薄さが約3ミリになるように綿棒で伸ばして、色んな型を取ったら、ここで金平糖でトッピングをしても可愛く仕上げる事が出来ます。後は170℃のオーブンで10〜12分焼きましょう。
様々な色の金平糖がクッキーを彩り、見た目にも楽しいクッキーが出来上がります。お子さんがいる方やプレゼントにしても喜ばれる事でしょう。オーブンで焼いても、金平糖が溶けて無くなることはないので、安心してたくさん焼いて下さい。
ヨーグルトのデコレーションにぴったりの華やかさ
ヨーグルトの真っ白い表面に、まるで小さな花か星を散りばめたようにその存在感が映える金平糖。数粒乗せただけでも十分可愛らしく、そして綺麗な仕上がりになるのですが、もう少しアレンジを加えて来訪客を迎えられるようなデコレーションにしてみてはいかがでしょう。
材料に加えるのは、お好きな果物と、ケーキのデコレーションにも使われるアラザンやカラースプレーなどどうでしょう。他にも、シナモンや蜂蜜、ジャムやコーンフレークなど、ヨーグルトに入れて合うと言われるものを足してみるもの良いでしょう。
基本的には金平糖自体が砂糖で出来ているものなので、ヨーグルトはプレーンの無糖のものを使う事をオススメします。ヨーグルトにゼラチンを加えてゼリーにした上に金平糖を乗せれば、これもまた綺麗に仕上がります。是非、オリジナルの飾り方を見つけてみて下さい。
日本で唯一の金平糖専門店
京都に店を構える「緑寿庵清水」
京都にあるこの店は、150年以上もの間、金平糖作りの技を一子相伝で語り継いできた、日本で唯一の老舗金平糖専門店です。遡ること1847年に創業して以来、伝統と技術を守り受け継いできました。現在は4代目と5代目が共に店を守っているそうです。
金平糖の作り方の伝承は一子相伝
創業当時は、1種類の金平糖を作るのに約2ヶ月もかかっていたそうです。店を受け継いだ2代目から少しずつ違った味や風味のある金平糖を作り始め、4代目から本格的に様々な種類の金平糖作りに挑戦していったそうです。
今では、緑寿庵清水にある金平糖の種類だけでも60種類を超えるそうです。数々の賞を受賞している背景には、職人の惜しまぬ探究心と絶えない努力が積み重なっているのでしょう。
新しいタイプの金平糖
今までになかったフレーバーの金平糖が続々登場!
上記の緑寿庵清水だけでなく、日本にある金平糖メーカーが様々な味の金平糖を作り出しています。中でも、特に珍しいものをいくつか紹介します。
どの金平糖も、金平糖専門店緑寿庵清水で作られたものばかりです。日々、新しいものを作り出そうとしている4代目と5代目の努力の賜物と言えるでしょう。どの商品も季節限定な上に、大変人気のある商品ばかりですので、興味を持たれた方は是非買ってみてはいかがでしょうか?
チョコレートの金平糖
まさかチョコレートの金平糖があるとは、驚いたのではないでしょうか?金平糖は常に高温の釜の中で作るものである事は、前述した通りです。チョコレートも、常時高温の釜の中に入れておけば、もちろん溶けてしまうはずです。
しかし、高度な職人技で、チョコレートの金平糖が出来上がりました!金平糖を作るために要する時間は、平均で約1〜2週間ほどですが、この金平糖はそれ以上の18日間の時間をかけて製造されているそうです。バレンタインの時期にピッタリの一品となっています。
お酒を使った金平糖
お酒の風味を十二分に引き出した金平糖も存在します。白ワイン、赤ワイン、ブランデー、日本酒に梅酒といった、5種類の金平糖を楽しめます。お酒好きな方に送るには、打ってつけの品と言えるでしょう。
宝来豆の金平糖
こちらも緑寿庵清水ならではのオリジナル商品で、最高級の厳選した大豆を核として使用した金平糖となっています。京都にある風習で、おめでたい日に宝来豆という金平糖を食べるそうです。「宝が来る豆」という言葉もなんとも縁起が良い響きです。年賀や節分、お祝い事に贈られることが多いそうです。
時代で変わる金平糖
昔も今も愛されている伝統的な駄菓子金平糖
小さな粒を歯で噛み締めた途端に広がるさっぱりとした甘みを味わう事は、金平糖を食する上でこの上ない幸福感を得られる事でしょう。昔からある、単純な材料で作られている砂糖菓子なのですが、単純であるが故に底知れない奥深さも感じる歴史の長さに感嘆させられます。
あんなにも小さな花のような、星のような砂糖菓子が、伝統的な技術と高等な職人の経験で受け継がれてきているものだとは思いも寄らなかった方は少なくないのではないでしょうか?難しい話をしている訳ではないのに、実際に金平糖を作ってみるとその難しさに驚き、また技術を受け継いできた職人の日本の心を垣間見た気がしませんか?
寂しい事に金平糖製造メーカーは年々減っている
しかし残念な事に、あまりにも難しく過酷な環境での作業が欠かせない金平糖作りの後を担う人達は、年々減り続けています。今年確認出来るだけでも、金平糖の製造メーカーは10件ほどしか残っていないそうです。
金平糖専門店も1軒しか残っていない現状を考えると、金平糖を作る人が近い将来ほぼいなくなってしまう可能性がなくはないでしょう。金平糖だけでなく、あらゆる分野で人手不足が深刻化しているのもまた変えられない事実です。
長い間守られてきた伝統を、更に長く続かせていくために、私達に出来る事は、作られた品を知り、それを拡散させる事で、情報だけでも途絶えさせない事ではないでしょうか?幸いにも、今の私達には目には見えない電波という機能を使って、様々な情報を遠くの人達とも共有する術を持っています。
様々な人達の手によって拡散され、情報が少しずつですが、広がっていく事でしょう。金平糖を途絶えさせない為にも、また、様々な伝統を語り継いでいく為にも、大切な事なのではないでしょうか?今後、伝統的な技術や、永きに渡る歴史に由来するような歴史的価値のあるものが全て過去の闇に消えてしまわない事を願うばかりです。