戦時中の食事では何を食べていた?食糧難での食生活を解説!

戦時中の食事事情についてまとめました。食糧難での食生活について詳しく解説!また、配給制度やお金事情についても紹介していきます。戦時中の食事の工夫や知恵について、さらには戦時中の食事を再現したレシピも参考にしてください。

戦時中の食事では何を食べていた?食糧難での食生活を解説!のイメージ

目次

  1. 1戦時中の食事をチェック!
  2. 2戦時中の食事事情!どういう食生活?
  3. 3戦時中の食事の工夫
  4. 4戦時中の食事再現レシピ
  5. 5戦時中の食事には工夫が多く詰まっている

戦時中の食事をチェック!

戦時中とは太平洋戦争に突入した昭和16年12月から、終戦を迎えた昭和20年8月15日の約4年間を指します。この期間は日本中が食糧危機に瀕し、「欲しがりません勝つまでは」のスローガンの元、不自由な生活に国一丸となって耐えていました。

戦時中は、衣類や日用品などありとあらゆるものが不足しましたが、本記事では戦時中の食事事情に注目し解説していきます。戦時中の食生活はどのようなものであったのか?さらに戦時中の食事を再現したレシピも紹介します。

戦時中の食事事情!どういう食生活?

戦時中の食事は今とは比べ物にならないほど貧しいものでした。戦時中は何を食べていたのか?配給制度とはどのようなものであったのか解説していきます。

戦時中の食事事情①戦時中は食べ物がない

映画やドラマで戦時中の暮らしを見たことはあるでしょう。実際、当時の日本人はどのような食生活を送っていたのでしょうか?戦争がだんだん激化してくると、これまでの生活が一変し、食生活も困窮を極めるようになります。

その大きな要因が、徴兵による労働力の低下と、戦地で戦っている兵士に食料を送り続けなければならなかったからです。農家は食事に困ることは少なかったようですが、戦争が長引くにつれ、次第に食生活が苦しくなってきました。

政府は農家から米や農作物を一定量買い上げていましたが、不作でも決まった量を納めなければならず、農家も深刻な食糧不足に陥ることになります。肉や魚も不足し、次第にイナゴなどの虫も貴重なタンパク源として食べるようになりました。

戦時中の食事事情②配給制度

配給制度とは、米や塩、砂糖といった貴重な食料を、平等に分配するための制度です。食料の他に日用品や衣類も配給の対象になりました。配給切符や配給通帳を配布することで分配量を厳しく管理し、配給の間違いが起こらないようにしていました

戦時中は隣組という制度があり、配給の手伝いなどを順番に行なっていたようです。初めは米や砂糖、魚なども配給されていましたが、戦争が長引くにつれて、配給もあてにならなくなってきます。次第に米の配給は行われなくなり、大豆や麦などに変わっていきました。

戦時中の食事事情③お金事情と贅沢品のお弁当

戦時中、物資が少なくなってくるとお金の価値もどんどん下がっていきます。お金があっても食料が手に入れられるとは限らず、農家で衣類や日用品と交換してもらうこともありました。闇市では食料が手に入りましたが、砂糖など貴重なものは何十倍もの価格で売られていたようです。

戦時中は学校にお弁当を持っていける子供はとても恵まれていました。麦の入ったご飯に梅干しを乗せた日の丸弁当や、さつまいもでカサ増ししたさつまいもご飯は、当時はとても贅沢なご馳走だったことでしょう。しかし戦争が長引くと、お弁当の中身も様変わりし、かぼちゃの煮物やふかし芋だけと質素になっていきます。

かぼちゃやふかし芋を食べられる子供はまだ恵まれていて、お弁当を持ってこれない子供も多くいました。お弁当がない子供は水で空腹を紛らわし、昼食が終わるまで校庭などで時間を潰すしかなかったのです。

戦時中の食事の工夫

戦時中は少ない食料でも満足できるよう、さまざまな知恵と工夫が取り入れられていました。どのような知恵と工夫で食料危機を乗り越えたのか見ていきましょう。

カサ増し

戦時中はとにかく食料が手に入らないため、少しの食材でいかに多くの食事を作れるか工夫していました。白米はとても貴重だったので、麦や大豆、さつまいも、大根などを混ぜて、カサ増しして炊飯します。さらに白米ではなく玄米をカサ増した、楠公飯(なんこうめし)という食べ方もありました。

まず玄米を炒ってから、たっぷりの水に浸けて一晩置いておきます。朝になると玄米は水を吸って2倍ほどの量に膨れますので、通常通り炊き上げます。カサが増えた玄米は柔らかく、水を吸ってブヨブヨの食感になってしまいます。この他にも、白米をたっぷりの水でおかゆにしたり雑炊にして食べていました。

代用食

代用食とはその名の通り、手に入らない食べ物を何かで代用する戦時中の知恵です。まだ余裕があった頃は小麦粉を米の代わりにしていましたが、戦争が長引いてくるとさつまいも、じゃがいも、かぼちゃが主食代わりに食べられていました。

料理に欠かせない調味料も、不足してくると代用品で賄われるようになってきます。塩水で大豆と昆布を煮込み、取れた液体を醤油の代わりにした代用醤油や、代用マヨネーズ、代用ピーナッツバターなどさまざまな代用食が考えられました。

戦時中は野草や野菜を生で食べることも多く、代用マヨネーズは少しでも美味しく食べるために考えられた、苦肉の策でもあったようです。

乾燥させる

戦時中は冷蔵庫など食料を保存するための家電などありません。そこで日常的に行われていたのが、野菜などを天日干しする干し野菜作りです切った野菜や山菜などを干して保存性を高め、食料が無駄にならないよう工夫しました。

かぼちゃやさつまいもを植える

かぼちゃやさつまいも、じゃがいもは痩せた土地でも育てやすく、戦時中は多くの家庭で作られました。貴重な働き手が戦争に駆り出され、女性や老人だけになったことで米の収穫量は少なくなってしまいます。そのため育てやすく、米の代わりに食べられるかぼちゃやさつまいも、じゃがいもが多く作られたのです。

これら3つの野菜は、デンプンを多く含み保存も効きます。この3つの作物があったおかげで多くの餓死者が出なくて済んだのですが、中には毎日食べていたせいで、すっかり嫌いになってしまったという方も多くいます。

戦時中の食事再現レシピ

戦時中の食事を再現したレシピを3つ紹介します。当時は薄味か味付け無しで食べることも多く、現在のように美味しく食べられることは少なかったようです。

戦時中の食事レシピ①さつまいものつるのきんぴら

【材料】

  • さつまいもの茎…好きなだけ
<A>
  • 醤油…大さじ1
  • みりん…大さじ2
  • 酒…大さじ2
  • 七味唐辛子…お好みで

【作り方】
  1. さつまいもの茎の皮をむきます。
  2. (1)を食べやすい長さにカットします。
  3. フライパンで油を熱し、(2)を炒めます。
  4. Aの調味料を加え、汁気がなくなるまで炒めたら完成です。

今では食べられることなく捨てられるさつまいものつるも、戦時中は立派なおかずになりました。とはいっても、戦時中は調味料も手に入りづらく、今のように美味しく食べられていたわけではありません。醤油やみりんで味付けすればクセもなく美味しく食べられますが、味付けせずに食べることもあったようです。

戦時中の食事レシピ②すいとん

【材料】

  • 小麦粉…200g
  • 水…150ml
  • 人参…60g
  • 大根…120g
  • 白菜…120g
  • 生椎茸…4枚
  • 油揚げ…1枚
  • ねぎ…1本
<A>
  • 水…1000ml
  • 煮干し…25g
<B>
  • みりん…大さじ1
  • 塩…2.5g
  • 醤油…大さじ3

【作り方】
  1. 煮干しは頭と内臓をとります。
  2. 鍋にAの水と煮干しを入れ5分煮出し、アクを取って煮干しを取り出します。
  3. 野菜は食べやすい大きさに切ります。
  4. 油揚げは油抜きして食べやすく切ります。
  5. (2)に野菜を入れて煮込み、煮えたら油揚げを加えます。
  6. Bの調味料で味を調えます。
  7. 小麦粉に水を加え、滑らかになるまで練ります。
  8. スプーンですくって(6)に鍋に落とし、火が通ったら完成です。

すいとんの歴史はとても古く、郷土料理として日本各地で食べられていました。しかし戦時中になると、味付けも具材もない、質素なすいとんが米の代わりに食べられるようになります。小麦粉が手に入らないことが多くなると、大豆粉やとうもろこし粉で代用することもあったようです。

戦時中の食事レシピ③里芋おはぎ

【材料】

  • 米又はもち米…300g
  • 皮付き里芋…300g
  • 塩…少々
  • きな粉…8g
  • 砂糖…24g
  • 塩…適宜

【作り方】
  1. 洗って水に浸けておいた米の上に、皮をむいた輪切りの里芋を乗せます。
  2. 塩を少々加え、炊き上げます。
  3. きな粉、砂糖、塩を混ぜ合わせておきます。
  4. 炊き上がった米と里芋を熱いうちにすりこぎで潰します。
  5. 粘りが出たら適当な大きさに丸め、きな粉をまぶし完成です。

お菓子や砂糖の配給が滞ってくると、甘味の代わりに里芋でおはぎが作られるようになります。米やもち米はとても貴重なものでしたので、里芋でカサ増しし、おはぎを作りました。現代では砂糖は当たり前にありますが、当時はやはり砂糖無しのきな粉で食べることが多かったようです

戦時中の食事には工夫が多く詰まっている

戦時中の日本の食事は、敵国アメリカとは比べ物にならないくらい貧しいものでした。食事回数も、今のように必ず3食を食べられた訳ではありません。育ち盛りの子供もご飯が食べられず、ひもじい思いをしていたことでしょう。しかし、少しでもお腹いっぱいになれるように、戦時中には多くの知恵と工夫が取り入れられました。

戦後75年を迎え当時を知る人が少なくなった今、戦時中の知恵や工夫を少しでも後世に伝えていきましょう。

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