明治時代の食事内容!牛鍋や和製洋食は明治から?庶民/農民の食事スタイルとは?

明治時代は近いようで、どんどん遠のいていく感じもあります。大正・昭和・平成となって、すでに令和になりつつあります。そんな明治時代の食事内容や食生活について、詳しく探ってみます。明治時代の庶民はどんな食事をしていたのか?あるいは、農民の主食や食事回数はどうであったのかも調べてみます。また、明治時代は文明開化の時代でもありました。西洋文化とともに、洋食も入ってきました。その洋食に影響を受けた和製洋食なども、現代の日本に深く根付いています。

明治時代の食事内容!牛鍋や和製洋食は明治から?庶民/農民の食事スタイルとは?のイメージ

目次

  1. 1明治時代の食事内容について詳しく知りたい!
  2. 2明治時代は食事以外にも西洋文化の影響を受けた
  3. 3明治時代を象徴する食事「牛鍋」
  4. 4明治時代から始まった食事「和製洋食」
  5. 5明治時代の主食と食事回数
  6. 6明治時代の庶民/農民の食事スタイル
  7. 7明治時代の食事は現代に深く繋がっていた!

明治時代の食事内容について詳しく知りたい!

現代は飽食の時代とも言われていますが、今から150年ほど前に明治維新より始まった、明治時代には日本人はどんな食事をしていたのでしょうか?明治新政府が主導した文明開化の奨励により、各種の西洋文化が取り入れられてきました。その中には牛鍋を始めとするさまざまな食事もあります。

西洋の食事から影響を受けて、明治時代から始められた和製洋食なる食事もたくさんあります。その和製洋食は現在に至るまで、手を変え品を変えた形で存在しています。また、明治時代の主食や副食、あるいは食事回数などもふくめて探ってみます。併せて、明治時代の庶民や農民の食事スタイルなども調べてみます。

この記事では、身分による食事の違いなどもふくめて、明治時代の食事内容や食生活を詳しく解説していきます。

明治時代は食事以外にも西洋文化の影響を受けた

明治時代は食事以外にも西洋文化の影響を受けました。というよりも、明治政府が主導した文明開化にのって、入ってきた西洋文化の影響の中に、食事もあったというのが本当のところです。ここでは、明治時代における西洋文化の影響から、明治時代の身分による食事事情の違いなどを紹介していきます。

文明開化

明治時代の政府によって奨められた、西洋に追い付け追い越せという欧化政策は、「文明開化」というスローガンの下に推し進められました。江戸徳川幕府時代以前の習慣習俗などは、すべて悪弊として排除される風潮を生み出したのです。維新政府のひざ元である東京をはじめ、都会を中心に急進的に広められました。

一方で、地方や農民をはじめとした庶民層は、この文明開化にかならずしも追随できないでいる者も少なからずいました。電車や郵便、通信あるいは電灯などは東京のものではあっても、地方では昭和に至るまで、菜種油の行灯で明かりを灯していたというのが実情です。

ほとんどの文明文化は東京から発信されるという、今に至る状態は明治時代以降の在り方と言えます。

西洋文化の影響

明治時代に新政府が推進した「殖産興業」「富国強兵」「脱亜入欧」などの政策は、明治時代の建築物や散髪、洋装、洋食などの具体的な形をとって、西洋文化の影響が表れてきていました。中でも、富国強兵政策における西洋文化の影響は、軍事技術ばかりでなく洋食という形で食事の在り方に影響を与えました。

明治時代の軍隊では兵隊の体力の強化を目的に、軍隊での食事は西洋化されたのです。けれども、当時の日本の軍隊は、地方農村部の次男や三男といった層を集めた集団であり、米飯と味噌汁で育った彼らには西洋の食事は簡単になじめるものではありませんでした。

こうした背景から、明治時代にも和洋折衷を図る味付けの工夫がなされ、「海軍横須賀カレー」などにみられるように、和製洋食が登場する契機ともなったのです。

身分による食事の違い

明治時代の食事は、これまで述べてきたように、新政府の欧化政策が色濃く反映されています。政府は役人に対して外交上の都合から洋食を奨めてきましたが、海軍では上野の精養軒で食事を摂ることがなかば強制化されていました。月末に精養軒への支払いが少ない兵士に対しては、注意がなされることもあったほどです。

けれども、前にも触れたようにこれらは東京などの都市部において、ある意味で特権的に行われている食事風景であって、明治時代に地方の農民などの庶民層は牛鍋をはじめとする洋食は、見たこともないというのが実情です。

明治時代の庶民層の食事は、特に農民の食事は三食あったことはたしかですが、主食のご飯と味噌汁にせいぜい野菜の煮物が付くかどうかといったものが、1日に3回繰り返されるのが主流です。身分による食事の違いは歴然としていました。

明治時代を象徴する食事「牛鍋」

明治時代の新政府が奨めた欧化政策による、文明開化を象徴するような食事が「牛鍋」です。それまで、獣肉食は穢れとする考えが日本人全体に強くて、この打破のために官民挙げてキャンペーンを張るかたちで、肉食が奨励されました。明治天皇が食べたことによって、一気に世間一般に広まったとされていますが、事実は逆ではないかと思われます。

牛鍋とは?

明治時代の文明開化を象徴する食事といえば、牛鍋が挙げられます。文明開化イコール牛鍋といってよいかもしれません。前に述べたように、肉食は明治時代における富国強兵政策の影の柱的存在といってよいでしょう。同じ明治時代にあった、宗教界における廃仏毀釈の運動と同じく、官民挙げて肉食に取り組んだ結果が牛鍋に結晶しています。

獣肉食に対する穢れ感は、明治時代には日本人にまだ強く残っていました。実際に、明治時代の初期においては肉の血抜き技術が不十分で、加熱すると悪臭を放つケースも少なくなかったようです。このことから、単純に肉食を忌避する一般国民も居たのです。

物の本には、自宅の庭で牛肉を煮炊きしたところ、その家の祖母は食事に顔も見せなかったという記述もあります。

明治天皇が食べた牛鍋

明治天皇が初めて牛肉を食べたのは明治5年(1872年)です。それ以来、牛鍋が世間一般に広まったとされています。

けれども、明治時代初期の新政府が肉食などの洋食を奨励するキャンペーンを張っていたことなどを考え合わせると、陸海軍を天皇の軍隊とする明治天皇が、富国強兵政策の一環として自ら牛肉を食べることで推し進めた、と考えるのが自然のように思われます。

明治時代には、たんぱく質の不足による「脚気」という病気で死に至る人も多く、軍の医務局でも問題にされていました。その意味でも洋食としての肉食は、明治時代における国家的課題でもあったのです。

牛鍋の簡単レシピ

明治時代初期の牛肉を使った食事の仕方は、関東では味噌味などの牛鍋として、関西では炒めた上での鋤焼としてがもっぱらでした。牛鍋の簡単レシピとしては、牛肉は現在のような道具も技術もありませんから、薄切り肉ではなく厚いぶつ切り肉を使います。牛鍋の具も牛肉の他はネギだけということになります。

明治時代から始まった食事「和製洋食」

洋食とは、字義のままに解釈すれば西洋料理の食事ということになりますが、日本においての洋食は「和製洋食」と言った方が、より本来的な意味に近いかと思います。

和製洋食とは?

正確には、早くは幕末の頃からですが、明治時代から始まった「和製洋食」は、西洋人のためにあった西洋料理店を発祥としております。それらの店で働いていた日本人の料理人たちが、日本の各地で自分の店を開く過程の中で、和製洋食なるものの市民権を得ていったのが、日本における和製洋食のルーツです。

また、一方で軍隊特に海軍において、富国強兵政策に基づいて洋食を通常の食事とするべく、国家的要請の下に和製洋食が成立してきたこともあります。いわば、官民で同時進行的に明治時代という時期に、和製洋食が成立の道をたどっていたと言うことができます。

コロッケ

和製洋食のコンセプトは、西洋の食事に出る料理にさまざまなアレンジが加えられて、元の料理とは別物かのように生まれ変わるところにあります。換骨奪胎といいますか、本歌取りといいますか、「コロッケ」もその一つになります。

フレンチでのクロケットが、どのようにしてコロッケになったのか不思議ですが、経緯を承知していなくても理解はできます。明治時代においても、原価的に高価であったクロケットですが、具の主体をジャガイモに代えることで、劇的に安価で劇的に日本的な食べ物になりました。

とんかつ

和製洋食の真髄がこの「とんかつ」です。洋風の食事としてとんかつの元ネタは、イギリスでは「カツレツ」で、フランスでは「コートレット」です。カツレツは豚の薄切り肉に衣をつけて油で焼き上げます。コートレットは今で言えばポークソテーに近い料理です。

厚めの豚肉を大量の油で揚げるとんかつは、どちらにも似ていますがもって非なるものです。これが和製洋食の真骨頂です。おまけに、繊切りキャベツを付け合わせるなんぞは、もう天才的と言えます。

オムライス

「オムライス」が西洋料理の食事にある、オムレツから作り出されたものであることは、だれにも想像がつきます。オムライスが出現するに至ったのは、風の便りでは明治時代の洋食店の賄い食事が発祥のようです。

現代でも、飲食店でよく聞く類の話ですが、賄の食事を常連の客が食べさせてもらうことで、人気に火が付くようなケースです。当初のネーミングはライスオムレツというところが、なんとなく分かりやすいです。

シチュー

和製洋食として「シチュー」も、歴史的には古いものがあります。明治4年には東京の洋食店のメニューとして、見かけることができます。煮込みとかうま煮とかいう、添え書きがしてあったようです。

シチューと言えば、欧米ではブラウンソースを使ったものを指しますが、クリームシチューといった、ホワイトソースを使ったシチューもありますが、これは和製洋食ではなく、純粋に日本料理のようです。

ドリア

和製洋食としては「ドリア」もその一つになります。ただし、ドリアは和製洋食というよりは、純和風の洋風な食事という方が適当かもしれません。発案したのは外国人ですが、欧米にその原型があるわけではありません。また、作られた時代も明治時代ではなく、昭和に入ってからのことになります。

ハヤシライス

これも未だに、日本人に愛好されている和製洋食「ハヤシライス」です。ハヤシライスの発祥については、確定説はありません。丸善の創業者早矢仕有的(はやしゆうてき)がからんでいる説が複数存在しています。ハッシュドビーフが由来との説も根強くあります。

いずれにしても、食事に米が使われていることや、いかにも和製洋食ということは疑いを入れません。

明治時代の主食と食事回数

明治時代の主食や食事回数を探って、紹介していきます。ここまで、明治時代の食事は肉食を含めた、洋食を敷衍していく過程の歴史でもありました。けれども、それは明治新政府の息がかかった都市部での話です。地方の農村部における庶民の食事は、主食や副食、食事回数などを調べてみました。

主食

明治時代における主食は、全国的にみて米が主食でありました。洋食主体の食事を奨める明治政府の意向にもかかわらず、都市部においても農村などの地方においても、その基本は変わることはありませんでした。

それどころか、地方においては米100%の主食ではなく、麦飯が主な主食でした。つまり、明治政府が奨める方向とはまるで異なる地点に、地方の農民庶民は居たのです。

副菜

明治時代の副菜はどんな状況にあったでしょうか?前にも少し触れましたように、一汁一菜が基本の食事でした。副菜として食べられることがあるのは、野菜の煮物か漬物もしくは魚の干物です。卵や肉が食べられることは、ほとんどなかったと言ってよいでしょう。

つまり、明治時代には新政府がどれほど躍起になっても、地方の農民庶民は肉を始めとする洋食を、食べたくても食べられない状況にあったわけです。

1日何食が基本?

明治時代には、1日何食が基本?だったのでしょうか。基本的には明治時代の人々は3食を食べていました。けれども、先に述べたように主食は米が主体であるにしても、麦の配合割合がどれほどかであるにせよ混合されているのが実態でした。あるいはくず米などを利用した団子などに工夫して食事を賄っていました。

したがって、明治時代に及び腰になりながらも洋風の食事を味わっていたのは、都市部のそれも一部の日本人にすぎなかったのです。農民庶民は、同じ一汁一菜を繰り返し3度の回数食べていたことになります。

明治時代の庶民/農民の食事スタイル

明治時代の庶民や農民の食事スタイルについて紹介していきます。明治時代の庶民や農民の食事は、回数こそ3度は食べていても、質素ということに尽きると思います。そんな庶民にとって「あんぱん」は心強い味方でした。

あんぱんは庶民の味方!

牛鍋同様で、あんぱんも明治天皇に愛でられてから、一般庶民に広がることとなったようです。これまで再三にわたって述べたように、1日3度の回数におよぶ食事を食べてはいても、内容は貧しいと言わざるを得ない農民庶民にとって、当時普及し始めたあんぱんは、食事に潤いをもたせる味方と映ったに違いありません。

質素なものが多かった

明治時代における農民庶民の食事スタイルは、当然のことながら質素なものが多かったと言えます。回数こそ1日3度食べてはいたようですが、言葉の本当の意味において一汁一菜と言えます。庶民といっても、ことに地方の農民にとっては、飢饉の際にはもちろんですが、牛肉とか洋食とかはお目にかかることもない、他所事に思えたはずです。

食事内容

明治時代の庶民農民の食事内容は、再三再四述べますが質素ということに尽きます。明治時代には回数こそ3度の食事を摂ったようですが、牛肉は論外としても、どんな贅沢品も出ることはなく、3度の回数ごとに同じような一汁一菜を食べ続けたというのが、本当のところになります。

明治時代の食事は現代に深く繋がっていた!

明治時代の食事内容や食生活を詳しく探ってきました。明治時代の庶民の食事の回数や内容などから、明治時代の国策による文明開化の影響によって、牛鍋をはじめとする洋食がひろまり、和製洋食などが登場する経緯まで、詳しく紹介してきました。

この記事を参考にすると、明治時代の食事は現代に深く繋がっていた!ことが分かります。

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